sevenswell

リンの思考記録、日記。PSO2のPC視点のブログ。

七夕

ロビーとショップのエリアに七夕の飾り付けが行われていた。

願い事を書いて、竹の木に吊るすという行事らしい。

皆、どうしているのだろう、と思いながら、皆が無事でありますように、と書いて吊るした。ほかにも似たようなことを書いている人が大勢いた。この状況では仕方ないだろう。これを書いている間にもダーク・ファルスの襲撃を受けて、船ごと宇宙に消えるかもしれないのだ。

今、思い返せば、もっと話せたはずだと考えるが、それは今だから言えることだ。チームに入った当初はそのように考える余裕はなかった。

そう考えられるようになっただけ、わたしは変われたのだ。あなたたちのおかげで前に進めたのだ、と伝えられる日まで生きていたい。

これを書いて吊るそうか考えたが、見られると恥ずかしい。ここにだけ書いておく。

選択とやり直しと

選択肢は無数に存在するといわれる。そして、どの選択肢に進むかで世界は無数に分岐していくとも言われる。並行世界の概念だ。

この並行世界を自由に行き来できたり、統合するということができるとする。悪いことを回避し、より良い方向に持って行こうとする人、真逆に振る舞う人もいるだろう。そういった手段に頼らない人間も出てくるだろう。

自分はどうなのか、と問えば頼らない。良いことも悪いこともわたしの手によって起こされ、わたしの血肉になっている。それを無に返すような振る舞いをわたしは、したくない。

ショップエリアに桜が咲いていた。徐々に咲いていくものだと認識していたが、ショップエリアの桜だけは違うようだ。ある日、突然、桜の花が満開になり、淡い色の雨を降らせている。

不思議な光景だと、買うべきものがあるのを忘れて桜を見上げた。

桜といえば父と母と3人で花見に出かけた記憶がある。私の桜に関する知識はそのとき、二人が教えてくれたものに基づいている。満開の桜がずっと続く道をゆっくり歩きながら、父と母から交互に桜について話を聞いたのだ。

同じ遺伝子を持っているため、ほぼ同時に咲く。船の中ではわからないが大陸であれば、桜の開花する地域が広がっていく様子が見えるだろう。そして、その線を桜前線というのだとも。その桜前線を見てみたい、とわたしは言った。父と母は同時に3人で見よう、と返事をしてくれた。それからというもの、桜を見るたびにそのときのやり取りを思い出していた。

10年前のダークファルス襲撃以来、途絶えていた習慣だったことも一緒に思い出した。父も母も命を奪われ、約束も潰されてしまった。悲しみより、心の大半を失ったような感覚があった。それからの時間には何の意味も持たなかった。持たなかった、と過去形で書けるのは幸いだ。今の私には桜を一緒に見上げたい人たちがいるのだ。

無題

感覚と感性が蘇ると得られるものが増える。

 
自分の身体を思うままに操る心地よさ、自分の判断で動き目標を達成した時の喜び、食事した時の満足感、ショップエリアの人の生活感……自分が生きている実感がわいてくる。ここに今、自分が生きていると思える。
 
喜ばしいが両手をあげて喜べないのだと知った。誰もいない部屋に取り残された、とそう感じる時があるのだ。フィールドに降りている間は気を紛らわせられる。しかし、部屋で休む時はそうもいかない。こうやって書いている時や本を読んでいる時でも、ふと、自分がここに一人なのだと認識するのだ。
 
いつからわたしはこんなに面倒な人間になったのだろうか?

斬り方

武器の扱いには慣れてきた。が、一撃がまだまだ軽い。

 
力強さが足りないとは感じている。それ以外の要素が不足しているのだ。それが何かはわからない。
 
扱っていればわかるようになるのだろうか? わからないことは早めに聞いても良い。しかし、それは避けて自力で解決したいと思う自分がいる。
 
これが意地なのか。そういう感覚かあるとは思っていなかった。先に進んでやるという気持ちに隠れていたようだ。これは、強力な推進剤でもあるが、一つ間違えれば自爆を招く。
 
何が不足しているのかを一週間探る。それで答えが見つからなければ相談だ。

ログ19

両親の記憶というものがほとんどない。

人生の3分の1は過ごしていたはずだが、記憶らしい記憶がほとんどないのだ。人間は忘れていくことで、生きていけるとも言うが、幸いなものまで忘れてしまうのは不幸だ。

こう考えていることからわかるのは、わたしにとって両親と過ごした期間は幸いだった、ということだ。

先にも書いたが記憶にはほとんどない。それでも、そう確信できるのは幸いだ。自分は不幸だと思えば不幸になる。これは極めて主観的な問題であり、他人がどう思うかは別だ。

エオお姉さんはわたしの生い立ちを知っている。が、だからといって、何かあるわけではない。気遣いは感じるが、他のメンバーとあまり変わらない接し方をしているように感じる。それもまた、わたしが幸いだと感じられる理由だ。

同情されれば、他人がどう思うかは別だ、と構えられなかったに違いない。

ただ、何か動こうと思った際に親が不在なのは都合が悪いと最近、知った。身元を保証する存在が必要なのだ。わたしがどう思っても、社会の仕組み上は身元を保証する人間が求められる。こればかりは、どうしょうもない。